《自閉した14歳の私が満足したらこうなった》独りぼっちは寂しいよ

《自閉した14歳の私が満足したらこうなった》 独りぼっちは寂しいよ

独りぼっちは寂しいよ

中学生の頃の私の自閉は、二次障害かもしれないなあ。

二次障害は、心の病だと思うのです。

我慢し過ぎたから_| ̄|○

いや、専門家じゃないですからね。

私の頭や心の中を見える化しようとしてるだけなので、当事者としての感想だね!くらいに、 適当に読んでくれたら嬉しいです。

とにかく、病的な自閉は、耐えるに耐えられない出来事があったからなんですけどね。

思春期に色んな事が一気に起きて、全てを我慢せねばと、心がいっぱいいっぱいになってたのよね。

しんどかったあ( ; ; )。

そんで、苦し過ぎて、耐えられなくて、感じたくなくて、強く自閉して、感情を無にしたんだと思う。

本当に記憶がない期間があったのよ。

思い出した時は思わず嗚咽。

思い出した時の状況はね、

発達障害とは関係ないと思うんだけど、関係あるって言われてるのよねフラッシュバック。

もう、その場面にいるような感覚になったの。

思い出したくない場面に入ってしまったの。

手を伸ばしたら、人に触れるんじゃないかと思うくらいにリアルなの。

その話はまた機会があれば

だけど、その心の中の『引きこもる部屋』こそが、絶望してた私を応援してくれてたんですよね。

「いつか笑って暮らす日が来るから生きててね」

って。

そして最近、その中学生の私が引きこもりの部屋から大声で叫んだ!

「めんどくせー!」

たぶん、たぶんですよ!

その「めんどくせ〜」の一言をキッカケに、自閉中学生が完璧に外へ出た気がするの!

で、なぜか、しゃべらないぞ!って思ってた私を感じまくってる訳です今。

しゃべらないぞ!というか、しゃべれない!が正しいかもだけど。

物凄い怒りがある。

↑自分でもビックリな程。

破壊的で、何かを傷付けてしまうんじゃないかという恐れもある。

精一杯だったんだなあ。

笑顔を見せて〜、優しくして〜って思ってるなあ。

子犬の様に仲良く喧嘩しようよ。

が、いつしか、

「触るな!」「喋り掛けるな!」同じ空間にいるのも嫌だ。

になったのね。

思春期のあるある話しかも。

私の場合はこだわり強過ぎたのかなあ?

そして、気配を殺して家族から逃げ出したんだあ。

だって、私の場合、1番めんどくさい人は家族でしたから。

でも今は、この家族というコミュニティが1番の安心だと知ってるけどね。その話はまた今度

外に出るから人と関わる。

良いのか悪いのかなんて分からないけど、その時は必死だったのよ。

良い事なんて何もないって思いながらも。

まあそれでも、友達や先生が心配してくれたり、気に留めてくれる人がちゃんといた。

今考えると、全てに感謝だなあ。

家族でさえも、私の性格知ってるから、やりたい様にやらせてくれたんだなあ。

なかなかいない肝っ玉母ちゃんですよ。

なんだけどね、今はわかるんだけどね、

そん時の私の感情を一言で言うと、

「めんどくせー!」

だったんだよね。

生きるのも、人に会うのも、学校も、バイトも。

卒業してからは、仕事も人間関係も何もかも。

めんどくせー人生だったんだよ。

でも、もうめんどくせー人生は嫌なんだよ。

楽しい人生を、想像して創造する。

そんな人生を選ぶんだあ!!!

だからさ、今、お家で引きこもってる人がいるなら叫んでみませんか?

「めんどくせー!」って。

めんどくせー!じゃないなら、何を叫びたいか教えて下さい。

そして、何でもいいから喋ってみませんか?

人と関わらないとさ、お互いに傷付かなくて済むけど、ひとりぼっちじゃない?

人と会うとさ、傷付くかもしれないけど、つながりを持てるよ。

やっぱり、ひとりぼっちは寂しいよ。

↑これね、Rita研の長谷川先生から聞いたお言葉なんです。

「人と関わらないと傷付かなくて済むけど、ひとりぼっちでしよ。

人と会うと傷付くかもしれないけど、つながりを持てるよ」

って。あーそうだなあ!ってジーンとしました。

長谷川先生は立命館小学校の先生で、稲盛哲学の『利他の心』を【道徳】の授業に取り入れていて、 月に一度立命館大学にて【道徳】の授業を一般公開されています。Rita研の感想はこちら

授業の後に長谷川先生の仰った何気ない上の言葉に出会えて本当に良かったです。

14歳の私が満足に気付くへ続く

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